TOP > スポンサー広告 > title - 空など飛べないと刑事は言った 7-4TOP > 空など飛べないと刑事は言った > title - 空など飛べないと刑事は言った 7-4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

空など飛べないと刑事は言った 7-4

(なっ!)
 鈍く光る刃は落ちきらないうちに半円の弧を描いて空中に跳ね上がった。手首の白い布が弛み、気絶していたはずの男がひょいと手を伸ばして百太の手首を掴むと、切っ先を空に向けさせたのだ。
(何っ!)
 真っ先に頭の中で月音を呪った。意識があるだけでなく、手をきちんと縛っていなかったとは?!
 次の一瞬で百太の頭脳は二つのことを認識した。一つは男が自分よりがたいが大きく力では負ける可能性が高いこと。もう一つは「異様」さ。
 ナイフを空へ向けさせた男は、それっきり手に力を入れず、添えるように外から百太の手首を握っている。上半身を起こしてころんと座り、そのまま身動きしない。口に猿ぐつわの一つもないのに叫び声一つ立てない。
(とにかく早く殺してしまわなければ)
 振り上げて男の手を外し、首にナイフを下ろしーまた途中で手首を取られ、刃は彼の肩から数十センチも離れた空を切って外を向いた。
(馬鹿な)
 理解出来ない、ことなどこいつを殺してしまえばどうでもよくなる。長く関っている暇はない。この後の雑誌の仕事は時間がタイトだ。それからメールの処理をして、準備書類を作った後四時にはクライアントを迎えなくてはならない。
 間に合わない電車に走った時のように鼓動が激しい。額に垂れる汗が証拠を残さないうちに処理しなくてはー
 勢いで男の胸を押すとどすんとコンクリートの床に寝転がった。その口元が笑ったように見えて、百太は勢い良くナイフを首元にー
(えっ?!)
 またも男は乾いた手で百太の手首を掴んだ。今度もまるで力が入っていない。男の力を振り切るつもりだった百太の手は横たわる男の体の上を暴走し、身を乗り出して何もない地につまずいてー
 男と自分の手が協力するようにナイフに添えられたまま、刃はずぼりと自分の首に、
「がっ……!!」
 衝撃は一瞬だった。
 コンクリートに背が落ちてすぐ視界が失せた。血が体から失われていくのがわかり、遠のきつつある意識を必死でもがいて掴む。
 ここで気を失うわけにはいかない。事件に関わったことなど世間に知られてはいけないのだ。
 闇の中。体がわからない。血が失せる感覚すら消えている。
 こんなところで終わる訳にはいかない。まだ人生、何もしていないも同然だ。上場も、支店すらー
 私は……ただ……
(私は幸せになりたかっただけなのに!!)
「百太さん!」
 その名で呼ばれる筈は無いと気付く理性は、最早失われていた。
「百太さんっ!」
 声が、ただ暖かかった。
 恐い夢で目覚めた夜更け、幼い自分を抱え込んでくれた母の腕ように。
 仕事を終えた深夜、婚約者と並んで事業の夢などとりとめもなく話すソファーの上でのように。

 動かなくなった時、百太の唇は笑みの曲線を描いていた。


「百太さんっ、百太さんっっっ!!」 
 繰り返し叫んだ。
 余りにも反応がないので、月音はコートごしにそっと腕を揺らしてみた。
「百太さんっ!」
 透明なコートの下、右肩からスーツもワイシャツも血だまりで暗い紅《あか》に染まっている。
 どれくらい呼んでからか。手首に触れたが脈は感じられなかった。鼓動を調べようと胸を探りー火傷をしたかのように手を離した。
 再び手を延ばし、厚い布の下に確かにある胸のふくらみの間を探って、鼓動が無いことを知った。鼻先にも息は感じられない。血にまみれた首には喉仏の突起もない。
(百太さん、女の人だったのか……)
 長い睫毛、なめらかな頬。何よりも、その姿全体が発散する輝きは異性のものに他ならなかった。濃紺のスーツに青いネクタイ姿、これがメールで言っていた変装なのだろうか。
 死のうとしたのは自分だった。
 二回やって殺人も退屈だと見切った。だが青年官僚を殺そうとして反撃された時、ひどく興奮した。みんなが言う「わくわく」とはこの感じに違いない。ならば今度のヴィクティムは自分にしよう。やりたいこともないし、十七歳で死んでしまっても別に構わない。
 白い布で目と足を覆ったがー薄い布なので外は透けて見えていたー自分で自分の手首を縛るのは難しいとその場になってわかった。仕方なく適当に縛るふりをしておいた。百太が近づいてくるのをドキドキしながら待ち、刃を向けられると予想通り体中にぞくぞくとした感覚が走った。今までにない幸福な気分。もっと長くこの感覚を感じたくて、百太の持つナイフの刃先を反らした。楽しかったので二回目も同じことをした。さすがにもういいか、と思って三回目は力を入れないでいたら、二人で手を添えたナイフは思わぬ速さで空を滑り、百太の首筋深くに突き刺さった。
「百太さん」
 応えることはない。わかってからもしばらく無言でそこに座り込んだ。
 日の光が黄色味を増し、汗が目に滲みる。

『私たちは誰も捕まってはならない』

 百太の言葉が思い出された。
「そうだ、こうしちゃいられないんだ」
 殺されるつもりだったから、自分の指紋について全く気にしていなかった。ポケットを探りタオル地のハンカチで触ったかもしれない場所を力を入れて拭いた。それから百太の所まで戻ると、レインコートを脱がせてやはり自分が触れたであろう場所を拭いてから、太い管の下に押し込んだ。この人が加害者になろうとしていた痕跡は、消さなければならないと思った。
 小さな布鞄以外百太は何も持っていなかった。恐る恐るいくつかのポケットを探ると、左腰のベルトから金色のチェーンで結んだ鍵が見つかった。オレンジの番号札のついた小さな鍵。
(コインロッカーだ!)
 物の受け渡しに駅のロッカーを使うように勧めたのは百太だ。それも最寄りではなく隣の駅のものを。これもきっとそうだ!
 ぐるぐると屋上を回ってから、もう一度百太の顔を見る。どこかで見た顔だ。
 学校や近所でではない。わからない。自分の思い違いかもしれない。
(……)
 白い顔が強い日に照されているのが可哀そうだ。残りの包帯を落としてそっと顔を覆う。
(百太さん……)

 日が赤みを帯びてから、月音は屋上を去った。
 焼き尽くすような日差しが、灰白色の屋上と一つの亡骸を照し続けた。



 目次 

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

小説へはこちらから
最新記事
最近の有無那
ボリウッド4のうち3つまでは見ました。あとは「きっとうまくいく」のみ。ついでにインド映画の御大アミダーブ・バッチャン、ハリウッド初出演の「華麗なるギャツビー」も見たいです…(7/9)
有象無象
連載メルマガ
現在連載中のメルマガはありません
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。